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こぼれ話

横浜シネマ ジャック&ベティ     川口ひろ子  2025.5.23
 

5月17日土曜日から、23日金曜日までの一週間、横浜の若葉町にある「ジャック&ベティ」というミニシアターで、上映していただいた。
ジャック&ベティは、ジャックとベティの二つの上映スクリーンを持ち、横浜に3つあるミニシアターの一つ。
editor.Oは97席のジャックのスクリーンでの上映となりました。
毎回上映後に、トークショーをしました。トークショーの部分は、吉本さんに撮影していただき、YouTube動画として観られるようにしていただきましたので、どうぞご覧ください。

だっぶり通ったおかげで、ミニシアターの仕事を垣間見ることができ、映画は作る人と見る人以外に、上映する人がいて成り立っているということを、しみじみと感じました。
この上映する人というのは、ミニシアターの梶原支配人。もちろん映画が好きであるのだけれど、映画を作っている人に対しても深い愛情を持っていて、それがやさしい支援となっていて、大入りならばともに喜び、お客が少なくともなーんにも言わない。ちょっ見えない掌で、肩をポンと叩いてくるような気配。
映画を作りたいな、作った映画を観てもらいたいなという人たちを、応援していました。

映画館の音響の良さや、スクリーンの大きさは、本当に素晴らしかったです。
上映してくださってありがたかった。

   横浜ジャック&ベティの梶原支配人と​川口ひろ子監督

 

 

 

 

 


 

横浜ジャック&ベティ.jpg
アジアンドキュメンタリーズサロン.jpg

アジアンドキュメンタリーズサロン     川口ひろ子  2025.3.21

上映会を行いました、2025年3月15日土曜日のことです。

会場は「アジアンドキュメンタリーズサロン」
このサロンは、動画配信サービス「アジアンドキュメンタリーズ」が 会員制のドキュメンタリーサロンを東京・日本橋浜町に開設したもの。席数は14席と小規模ですが、98インチの大型モニターで鑑賞することができます。その場所を時間貸ししていただいての上映会です。

参加者は12名と運営者側の4名で、計16名でした。
今回の参加者は都内の出版関係の方が多く、現在の出版状況の真っただ中でお仕事をなさっていることもあって、今までの上映会とは少し違った雰囲気になりました。
上映後のトークでは、編集者としてのご自分との対比も述べられて、胸が熱くなりました。
昭和の文学史として観てくださり、今の編集者としてのご自分たちの足元や足先を考えるみなさまの姿に、心を打たれて身が引き締まる思いでした。

もっともっと、「editor.O」を持って歩きたいと強く思いました。

昨年7月石巻から始まった上映会は、今回の上映会で12回目となりました。

泪橋ホールのこと      川口ひろ子     2025.1.22

2024年の最後となる上映会となったのは、東京都台東区にある「泪橋ホール」というところです。上映を始めてから4ヵ月がたっていました。ここでの上映会では、お二人の友人のお力を借りました。ありがたかったです。


上映をお願いするメールを、泪橋ホールの多田裕美子さんへ送ったのは2024年9月のことでした。制作委員会のメンバーが泪橋ホールを知っていたことが理由です。良い映画を上映するのよと教えてもらいました。

「こういう者です。こういうドキュメンタリー映画を作りました」

メールを送りました。

扉はこのメールで開きました。メールには予告の2分程度の映像とすこしの情報あるのみ。やりましょうとお返事をいただき、泪橋ホールを訪れての打ち合わせ一回。

当日は、大きなトランクに展示用の本と販売用のカタログ、釣銭の箱を押し込んで、がたがたと引っ張りました。大事な映画のDVDは腹に巻いて……。

上野駅で迷い、南千住駅からも迷い、見上げると東京スカイツリーがありました。そして山谷の町並み。横浜の寿と似ているような、どこか眠っているような静けさ。横浜暮らしの身には東京は隣なのだけれど、ちょっと敷居の高いところ。迷子になったら帰れないような迷宮。そんな時、山谷の小径は何処かで寿の小径と繋がっているよと、安心させてくれました。

 

12月14日は17名のお客様。多田さんが一番後ろから観ていました。その日の片づけを済ませた後、多田さんとお話をしました。多田さんは「よかったよ、自由と平等が腹に落ちた」と。私が一瞬泣きそうになったのはこの言葉でした。私はこの映画を作っている時に、インタビューをさせていただいた方々が、話しながら涙をこぼすのを見てきました。多田さんの言葉に泣きそうになりながら、その一つ一つが蘇りました。

多田さんは、この場所で、泪橋ホールを運営しながら、長く静かに活動をしています。さらに、写真家でもあります。多田さんは腰の据わった人で、泪橋ホールは凄い場所だなと思ったのです。

 

12月15日は、横浜上映会のチラシから東京まで辿ってきていただいた方や、横浜の上映会には日程が合わず、はるばる来てくださった方。さらに、長田さんが編集長時代の校正者だった方もいらしてくださいました。長田編集長の秘話もうかがえた楽しい会となりました。上映後のトークには、出演もいただきました東京新聞の佐藤直子さんが参加してくださり、映画では伝えきれなかった部分をお話しくださいました。

来年も上映しましょうと、多田さんの言葉。応援しますとも言ってもらえました。

泪橋ホールを出たところで、長田さんから電話がありました。検査入院から退院して自宅に戻られてのものです。以前に一部摘出している残った膵臓に腫瘍が見つかったそうです。長田さんは、「一度は、大きなスクリーンで観たい。自分も上映会で見て下さった方にお礼を言いたい、話もしたい」と言っていました。その夜から、長田さんの地元での上映会を実施できるように、模索が始まりました。

決まり次第、ご報告します。

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