こぼれ話
泪橋ホールのこと 川口ひろ子 2025.1.22
2024年の最後となる上映会となったのは、東京都台東区にある「泪橋ホール」というところです。上映を始めてから4ヵ月がたっていました。ここでの上映会では、お二人の友人のお力を借りました。ありがたかったです。
上映をお願いするメールを、泪橋ホールの多田裕美子さんへ送ったのは2024年9月のことでした。制作委員会のメンバーが泪橋ホールを知っていたことが理由です。良い映画を上映するのよと教えてもらいました。
「こういう者です。こういうドキュメンタリー映画を作りました」
メールを送りました。
扉はこのメールで開きました。メールには予告の2分程度の映像とすこしの情報あるのみ。やりましょうとお返事をいただき、泪橋ホールを訪れての打ち合わせ一回。
当日は、大きなトランクに展示用の本と販売用のカタログ、釣銭の箱を押し込んで、がたがたと引っ張りました。大事な映画のDVDは腹に巻いて……。
上野駅で迷い、南千住駅からも迷い、見上げると東京スカイツリーがありました。そして山谷の町並み。横浜の寿と似ているような、どこか眠っているような静けさ。横浜暮らしの身には東京は隣なのだけれど、ちょっと敷居の高いところ。迷子になったら帰れないような迷宮。そんな時、山谷の小径は何処かで寿の小径と繋がっているよと、安心させてくれました。
12月14日は17名のお客様。多田さんが一番後ろから観ていました。その日の片づけを済ませた後、多田さんとお話をしました。多田さんは「よかったよ、自由と平等が腹に落ちた」と。私が一瞬泣きそうになったのはこの言葉でした。私はこの映画を作っている時に、インタビューをさせていただいた方々が、話しながら涙をこぼすのを見てきました。多田さんの言葉に泣きそうになりながら、その一つ一つが蘇りました。
多田さんは、この場所で、泪橋ホールを運営しながら、長く静かに活動をしています。さらに、写真家でもあります。多田さんは腰の据わった人で、泪橋ホールは凄い場所だなと思ったのです。
12月15日は、横浜上映会のチラシから東京まで辿ってきていただいた方や、横浜の上映会には日程が合わず、はるばる来てくださった方。さらに、長田さんが編集長時代の校正者だった方もいらしてくださいました。長田編集長の秘話もうかがえた楽しい会となりました。上映後のトークには、出演もいただきました東京新聞の佐藤直子さんが参加してくださり、映画では伝えきれなかった部分をお話しくださいました。
来年も上映しましょうと、多田さんの言葉。応援しますとも言ってもらえました。
泪橋ホールを出たところで、長田さんから電話がありました。検査入院から退院して自宅に戻られてのものです。以前に一部摘出している残った膵臓に腫瘍が見つかったそうです。長田さんは、「一度は、大きなスクリーンで観たい。自分も上映会で見て下さった方にお礼を言いたい、話もしたい」と言っていました。その夜から、長田さんの地元での上映会を実施できるように、模索が始まりました。
決まり次第、ご報告します。